想定外を学ぶ体験活動

想定外を学ぶ

「想定外『に』学ぶ」よりも「想定外『を』学ぶ」を

想定外『を』学ぶ

⇒ “想定外”に遭った時、不測事態のストレスをコントロールしてパニックにならず、これをどう切り抜けるか、想像力を働かせ、臨機応変に対処できるよう、常に体験から学び備える。

 自然=リアル *)を教場に学ぶ体験活動は、人智の及ばない未知なるものを知り、そこから更なる未知の想定に想像力を鍛え、臨機応変な適応能力を高めます。

*) テーマ ⇒ 自然=リアル

想定外『に』学ぶ

⇒ 想定外だっと言うのは、自分の考えが及ばなかったことを意味し、既に起きてしまったことは、もはや“既知”の今後の想定事項に過ぎない。

 想定外『に/から』知ることは、想定する考えが及ばず、リスク管理ができなかったことの証になり、そこから学べることは、「同じ過ちを繰り返さない」程度の対応策で、思いもよらない事態に遇えば、その都度「それは想定外だった」と言訳の繰り返しになります。

想定外を学ぶ ⇒ 『アポロ13』『エンダーズゲーム』 

自然=リアル

 リアル(自然)とは「真」で「本質」のことですから、自然(リアル)では、人知の及ばない事柄がしばしば発生し、そこからは「想定外を学ぶ」ことが出来ます。

「こう すれば、こうなる」
というマニュアル的な“知識”の蓄積は、お勉強でも出来ますが、

「どう すれば、こうなる」
かと考える“知恵”は、体験活動によって培われます。

 自然は Real であり、真の、まがいでない、本物のことをいいます。
 自然の反義は、不自然 Unreal (=作為) です。

 自然とは、本性、本質 True のことですから、単に山川や海、風雨などの天候、動植物等といった Nature に限ったものではなく、世の中の物事全般を範疇にします。

KEYWORD ----------------
リアル real: (名目上・表面的でない)真の、本当の、(まがいでない)本物の、天然の、(うわべだけでなく)心からの、(想像・空想でなく)現実の、実際の、実在する、真に迫った、まったくの
【語源】ラテン語「ものの」の意; 名詞 reality,動詞 realize

自然体験活動

 これまでは、いわゆる野外の自然環境の中で行なうものが自然体験活動とされてきました。
 しかし、「自然」の本義からすれば、世の中の全般について、不自然だったり作為的なものや虚偽を見抜けるよう、まがいものでない真のもの=リアルなものに接し、ものごとを見極める感性を学ぶ機会が自然体験活動であり、即ち「リアル体験」活動です。

リアルトとバーチャル ⇒ 『アポロ13』『エンダーズゲーム』 

テーマ ⇒ 想定外を学ぶ

遊びが基本

 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も; 想定外を学び
im'possible 不可能を可能に
………3
……2
…1
0!
Let's go! Zip! on The Great Milky Way Rail Road.

※ Zip!: 元気に!
  The Great Milky Way Rail Road: 賢治が手帳に記した銀河鉄道

リアル体験/本物体験

 リアル体験と本物体験は、必ずしも同義ではありません。
 では、「本物」ではないものは何か?  勿論、「贋物」が先ずありますが、日本文化には「もどき」(*) があります。

 「もどき」は、「擬き」もしくは「牴牾き」と書き、「真似る」という意味と「抵抗する」という意味の両義性があり、 例えば、和歌文学における「本歌取り」のように、本物に「匹敵」するものが「もどき」だとも云われます。
 「もどき」の「真似る」(似せ-る) の「にせ」と、偽や贋の「にせ」とには、その意図するところが違います。
 体験活動における「本物」とは、単に「偽物・贋物」に対するものではなく、本質を損なわない「もどき」も含めた「本物」を指し、これが、「遊ぶ・まねる・学ぶ」体験活動の理念になります。

(*) 「もどき」の解釈は、折口信夫の論を参考にしています。

KEYWORD ----------------
リアル Real: (名目上・表面的でない)真の、本当の、(まがいでない)本物の、天然の、(うわべだけでなく)心からの、(想像・空想でなく)現実の、実際の、実在する、真に迫った、まったくの 【語源】ラテン語「ものの」の意

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以下、編集中


参考:Facebook
Facebook

⇒【想定外を学ぶ】@Concept

体験プログラム

 体験活動は、「関心」 への切り口、「何か」 をし始める 「きっかけ」 をつくります。 まだ将来なんて考えたこともないという子も、継続する内に自身の特性が見えてきて、好きな分野や興味の持てる何か一つを見出し、挑戦し、継続することによって、自身の誇りともなります。

 プログラムは、人の助けとなれる自己をつくり、将来は幸福な人生が送れる社会人となる導入であって、専門的知識や技能の習得を目的としませんから、様々な場面(ステージ)を通して自分の特性に気付くプログラムをとおして自分の特性に気付き、個々の誇りによる自己肯定感を育みます。

憧れが夢につながる

夢に向うプラットホーム
宇宙は、大きな夢をはらみ、子ども達に憧れのステージを提供します。

Zip on The Great Milky Way Rail Road !

 子ども達の学習意欲をそそるきっかけの一つに「あこがれ」があります。  子ども達は、個々の感性で何かに憧れ、最初の自分の目標に設定しますが、多くの場合、それはその子のヒーロー(ヒロイン) となるものです。その憧れ対象のことを知り、近付くことに子ども達は熱中します。

【想定外と真理】

宇宙の真理

 日本人は 「無宗教」 で文化が劣るかのような捉え方は誤りで、正しくは、日本人は、自然界や宇宙、及び、そこに組み込まれる祖霊を 「信仰」 の対象とし、そこから生きることの 「理 (ことわり)」 を学んでいます。
 宗教で言う 「教条の教え」 は、信仰では、「理からの学び」 であり、日本人は、「教え」 だからなどと意識せずに、日常の当然な価値観ととして文化を形成し、生活しています。
 宇宙、そこには人知の到底及ばない真理が有り、未知と想定外を孕んでいます。

理 ことわり

① 物事の筋道。条理。道理。「彼の言葉は理にかなっている」「盛者(じょうしゃ)必衰の理」
② わけ。理由。
自然の理 the law [rules] of nature
人に理を説く reason with a person

自然から学ぶこと

体験活動、自然を教場にし外で遊ぶことから知ること:
⇒ 形有るものは壊れる 命有るものは滅びる ─┐  ここからの気付き
⇒ 自然のものはリセットできない  ─────┴─ ⇒ 信仰心、人格形成

信仰心

 自然を教場にする体験活動は、自然界の“リセット”はできないことを知り、人知の及ばない畏怖・畏敬の念から信仰心を育みます。  「信仰 (心)」 は、人格形成上の精神基盤を築くもので、特定の神を崇拝したり、自分の教条や宗旨を絶対として他を否定する 「宗教」 とは異なります。

宗教戦争は数多く起きますが、信仰戦争というものはありません。

信仰と宗教

 「信仰」 と 「宗教」 を同等に捉えることはできません。信仰は、その人の 「能動的」 な意志であり、他方、宗教は、「教え」(教条や宗旨) を受けたその人の 「受動的」 な拠り所です。
 生き物はDNAによって存在し、人は更に歴史や先人に学び、人知の及ばない畏敬の対象に『神』を感じ、信仰を生みます。
 信仰は、陰陽、二律であり、陰が無ければ陽も有り得ず、輪廻、無常の宇宙観に立ちます。

 一方、多くの宗教は、二律を認めず、己にとって都合の良い方を選び、正悪を付け、神に対する鬼が存在し、天使と異なる黒天使や悪魔を崇拝し、他方を否定し、神との契約思想の下、選民意識、差別意識を精神基盤にします。

≪Keyword≫ 体験活動 体験学習 自然体験 人知及ばぬ 気付き 特に自然を教場にする体験活動は、真理のヒントとなるドラマを提供する。